祈り方には二つある。
相手を思い通りに動かそうとする祈り。
もう一つは、相手の幸せのために支えていこうとする祈り。
後者こそが、まっとうな祈りと言えるだろう。
『大白蓮花』8月号に載った町田さんの誌上セミナーは示唆に富む。
クラスをまとめるのに孤軍奮闘。
が、生徒は応えてくれない。
手痛い挫折の経験も。
唱題に励むうち「相手を思い通りにしたい」との気持ちで生徒に関わっていた自分に気づく。
以来、「自分のための生徒」でなく、「生徒のための自分」を志すようになったという。
幸福は誰もが望む。
しかし”自分の幸福”を追求してはならない、とカントは考えた(人倫の形而上学)。
目指すべきは「自分の完全性」と「他人の幸福」である。
相手の幸せを祈りつつ、自らは鍛えと向上の日々を歩み抜く生き方だ。
そこに、おのずと自身の幸福境涯も開かれよう。
これが逆になると、人の世は悲劇に陥る。
つまり、相手にのみ完全性を要求し、それにより自分の幸福を実現しようとするやり方だ。
どんな難問に直面しても、まず自分が変わろうと腹を決める。
それが自他共の幸福を目指す創価の人生哲学だ。
爽やかな風に包まれ、さあ、自分自身の新たな「人間革命」へ!
2013年8月29日 聖教新聞より